不合格から3年後 和田 たけし君(仮名)

酒田市 スキルアップ進学ゼミ代表の松田裕次郎です。

今から15年前の3月17日16:00

ぼくは,新庄〇高の合格発表を見に行った。

当時家庭教師していた和田君(仮名)が合格発表を見に行くのが怖くて

ぼくに依頼したのだ。

ええと……受験番号034****

いくら見てもなかった。(涙)

携帯から和田君の家に電話した。

待っていたかのように彼はすぐに電話に出た。

もしもし…どうだっけ先生?

声を震わせながら語りかけてきた。

沈黙

中3年の夏ごろに,家庭教師協会の紹介で和田君を指導することになった。

正直言って成績は悪かった。

第1志望の新庄〇の合格も不可能に近かった。

でも,両親も,本人も積極的だった。

藁をもつかむ思いでぼくに頼んでくれたのだ。

約7か月間,彼はかなり勉強した。

わからなくて,くやしくて,大粒の涙がノートにこぼれたこともあった。

問題が解けた時の彼の喜んだ笑顔は最高でした。

7か月のたくさんの思い出が脳裏を通り過ぎた。

和,和田君!

受験番号はなかった。

ぼくは,今まで味わったことのない窮地に立たされたようだった。

和田君,ごめん!役立たずな先生でごめん!そう言った。

もう,彼も電話の向こうで泣き崩れていた。

合格会場では,合格した生徒さんの歓喜で幸せそうだった。

こんな,屈辱 世の中にあるのか。悔しかった。

4月からかれは,私立の高校に入学した。

両親からぼくに家庭教師の延長の依頼がきたのだ。

和田君は,当時難関だった作業療法士になるのが夢で

山形医療技術専門学校を第1志望に決めた。

4.3倍以上の高倍率だった。

いよいよまた受験が近づいてきた。

学科と面接試験がありました。

あれから3年,学科試験対策は完璧です。

あとは面接…。

試験の前日に面接指導していたら 誰かがぼくにこう語りかけたのだ。

今年の面接は,グループ討議で代表者が前に出て発表となる。

と ギョギョ!!!!!!!

言われるがまま彼に前に出て発表するんだぞ!

みんな,緊張してビクビクしているから,手をあげて発表しなさい。

無事試験も終わり,彼から電話が来た。

せんせー!!

先生の言った通り,今年から発表形式になったんだ!

指示通り前で発表したよ!(3年前のリベンジ!自信満々)

合格発表の日

彼は僕にまた合格発表を見に行ってと依頼してきた。

どれどれあった!!!合格した!!!

うれしかった。

しかし,ぼくは……。とんでもないことを思い出したのだ。

携帯から和田君に電話をかけた。

3年前とまったく同じ様子だった。(元気がなかった)

あの~。番号なかった。ごめん!

和田君は えっ!!!!!!!!!!!

だめだったか…。声を震わせている。

というのは冗談だよ。合格おめでとうございます!

っと伝えた。

和田君は,本当に!本当に!やったー!ーーーーーーーーーーーーーーー

と叫んで📞を放り投げてどっかに行ってしまた。

以来,僕も勉強になりました。

面接指導に自信がつき,今日まで全員合格しております。

和田君!

喜びと感動をありがとう!

最後に受験生のみなさん!

受験にドラマがなかったら

受験ではないですよ。